無明烏錯想浮舟 (お侍extra  習作52)

           千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき
 


          



 虹雅渓は、かの大戦の時に荒野へと墜落した本丸級戦艦の上へと発展した街だそうで。地下水脈とその洞窟へまで深々と食い込んでしまった主機関は、その墜落に巻き込まれた存在だった…のかも知れぬ式杜人らが囲う中、彼らに独占されてしまったものの。その他の広範な部分に流れ来た者らが居着いての暮らしが始まり、町へと発展。それが都市規模の街へまで、広く大きく成長した訳で。その日暮らしの者らの物々交換や情報交換から始まって、今や遊興娯楽のクチまで満たすほどの潤いぶり。あの長い長い戦争が終わってまだ十年と数年ぽちだというのに、

 “人の逞しさ、雑草にも負けず、だな。”

 そういう自身も、これが飯の種になるほど豊かな時代が来たからこそ、こんな若輩でありながらもそれなりに身を立てられたのだがなと。何につけ、ちょっぴりほどの皮肉も忘れないせいでか、面差しの精悍さだけは文人にあるまじきほど性根が座って見えるぞと、朋友らから揶揄されて久しいこの御仁。長いこと人物ばかりを専門にして来たが、先月来からという不意のこと、趣向を変えての風景へも食指が動くようになり。写生旅行に出てみたりもしたし、今日も今日とて虹雅渓の賑わいから外に出て、広げた画帳へ描くは…荒れた大地の壮大さや寂寥感だったりするのだが。
「おっと…。」
 吹きつけた風に、衣紋の裾が大きくひるがえる。イーゼルへと開いていた画帳もまた、その縁がぱたぱたと音立てて羽ばたいたので。手元手先が乱れかかっての苦笑がつい洩れた。本格的な構図の構想やそれへの着色は自宅の工房庵にて手掛ける。ここでは消炭の棒での素描を重ねておったのだが、それでもそれなりのお道具が要るのと、街の外はいくらこの虹雅渓とて用心した方がいいとの助言から、臨時で雇った荷物持ちの下男の方へと振り返り、
「今日はこのくらいで戻ろうか。」
 イーゼルや道具入れを片付けよとの合図代わり、そうと声をかけた彼だったのへ、
「へぇ。」
 短く声を返した大男。少々のろまだが目端は利くようで。何より実直で、小さな言い付けへも不平なく立ち働くし、同じことを二度言わずともいいほどに、その身へと心得を着実に増やしてゆく、使い勝手のいい男であり。先の戦で顔に醜い傷を負い、それを気味悪がられるからと頭から肩までを覆う格好にてかぶった頭巾にさえ慣れてしまえば、実にいい拾い物をしたものと。彼を紹介してくれた口入れ屋に、更なる礼金を弾みたいほどの心持ち。今回の臨時の雇い入れの後も、家の一切、取り仕切ってもらおうかしらとまで、思い始めているこちらの彼こそは。今をときめく画壇の寵児、篠山派筆頭 吉塚周英の一番弟子、島谷勘平という御仁であったりし。
『次の四科展へは、久々に大作を考えていてね。』
 旅先で見た瑞々しい森の中、胡蝶が舞い飛ぶ構図も練れてはいるが、そこへともう一つ、何とはなしに加えたいものがあり。
“やはり人物画から離れられぬかと、モリカワあたりから揶揄されそうだが。”
 胡蝶の精霊のような、女とも男ともつかぬ幽玄の存在を、ついつい素描帳へと描き重ねている彼だったりもし。今日のこの、荒野を眺めての写生にしても、そんな存在を描くという気持ちを起こすのに必要だろう、寂寥感や幽玄といった独特な直感を拾うことが主眼目のもの。
「あ…。」
 そんな彼の素描帳の1つが風に煽られ、はらはらと何枚もあるページたちを、なびかせての はためかせる。微笑ってもないが怒っても哀しんでもない、そんな不思議な表情をした誰かの面差しが、何頁にも渡って描かれてあり。中身には関心もなかったか、武骨そうな手で慌てて掴み上げての、帆布製の丈夫な鞄へとしまってゆく下男の手際を、用意された竹筒から水を煽りつけつつ眺めながら、
“…あれからは、蛍屋に行っても逢えぬままだな。”
 その絵姿の存在の大元、いんすぴれいしょんを貰った、それは妖冶で麗しかったうら若き美丈夫を思い出し、男臭くて野趣にあふれたと太夫たちからも評判の、苦み走った面差しを仄かな苦笑に染めたその時だ。

  「…っ。」

 手にしていた竹筒の水筒が、横殴りの風に薙ぎ払われて奪い去られる。いやいや、風の力でそうまでのことが出来たなら、彼自身が立ってはいられなかっただろうから、
“…小柄
(こづか)?”
 手裏剣のようにして投げる、小さな小さな刃物。少し離れた地べたへと落ちた水筒の横っ腹に、それが突き立っているのが見て取れて。
「旦那様。」
 片付けに着手していた下男も気づいたか、やおら身を起こすと大急ぎで駆け寄って来る。まだイーゼルが畳まれてはなかったが、一番に大切な素描帳は、彼が掴んだままにて戻って来た鞄へと既に仕舞われてあったので。後は放っていってもよしかと算段をつけたその間合い、

  「絵描きの旦那、また逢えたな。」

 成年か壮年か。男のものであるらしい、挑発的で自信に満ちた調子のそんな声が、頭の上の方向から鳴り響いた。振り返っての振り仰げば、傍らの岩場の上に誰かがいて。だが、小柄が飛んで来たのとは方向が違う。
“複数掛かり、か。”
 こうと来ては…贔屓にしている太夫を争う色敵とかいった、お軽い相手ではなさそうだなと。さすがに きな臭い雰囲気を読み取った島谷だったが、
“また、とは、どういうことだろか。”
 多少は気も強くて皮肉屋で、敵も多いという自負もある彼だったが、こんなまで生々しくもアクの強い連中を相手のすったもんだには覚えがない。
「他の連中へも賞金をつけての加勢を頼んだが、なかなか埒があかねぇ。そんなこんなしてるうち、あんたは虹雅渓へと戻ってしまった。あの街は警邏隊がうるさいのでなかなか手が出せなんだが、こうしてそっちから出て来てくれようとはの。」
 岩場の上へ陣取った男は、間違いなく、自分を絵師の島谷と見定めての話をしているらしく。だが、
“こんな無頼の連中に、絡まれるような覚えはないのだが。”
 虹雅渓へ戻ったという言い方をしていたところをみると、写生旅行の最中に何らかの接触があったと言いたいらしいが。絵を描くときの集中とそれから、旅情の中に揺蕩
(たゆと)うての意識の解放と。どちらにせよ、自分の内面とばかり向き合っての過ごし方をしていたので、知り合った誰ぞと語り合うことも少なくの、出会いもほとんどなかったような道行きであり。
“第一、あまり人が行き交うような土地には運ばなんだのだが。”
 描きたいとしていたのは、あくまでも幻想的な風景だったので、どちらかと言えば思索目的の旅だったようなもの。そんな中で出会ったと言われても………。

  「覚えてないのかい?
   いやはや、だったら気を回したのが却って裏目に出てしまったかな。」

 こんな風に声をかけての、あんたに確かめるような段取りなぞ踏まずとも良かったねぇと。何だか物言いが物騒なそれへと向きそうな予感がし、彫の深い目許をぐっと眇めたのと同時、

  ――― ひゅっ・か、と。

 鋭い風籟の音がして。だが、それが聞こえたのが却ってもどかしくも思えたほど、それは…自分の真後ろ、背後から襲い来た代物だったため。
“しまった。”
 自分へと馴れ馴れしく言葉をかけて来ていた方の男が注意を引いておいての、もう片やが狙いを定めていたものか。殺気をまとってひやりと怖い、そんな何かが、切っ先は鋭いが大きな威圧と恐怖を帯びての、まじろぎもしない真っ直ぐさにて、襲い掛かって来るの肌身に判るから、
“…ああ、もうダメだ。”
 こんな時にでさえ、婚約者ではなく、あの時に出会った妖しの君の方の面影が浮かぶとは。俺はやはり気の多い、誠実さからは縁遠い男だったらしいなと、そんな皮肉を思ったのとほぼ同時。

  ……… え?

 丁度、背後からの陽が射していた頃合いで。だから、落とし気味になっていた視線の先、自分の足元から伸びていた自身の陰が…不意に大きな風呂敷だかマントだかで、一気に覆われ、塗り潰されたのを見た。そんな陰を落としたほどの大きく、島谷の背後にて ばっさと風を孕んで膨らんだのは。あの下男がその身にまとっていた、煤けた色合いの長い外套。腕の付け根という胸高な位置に回して、その前合わせをくくっていた帯を、器用にも片手で引いただけで鮮やかにほどくと、その下には動きやすそうな筒袖袷と筒袴といういで立ちであり、しかも腰には…がっつりと重くて威厳もありそうな、大きな太刀を提げてもいた彼であり。
「あ…。」
 自身を封印しておったかのような、胸元の帯を振り払ったのとは逆の、右の手。それが伸びての柄を掴めば、鞘からすべり出て来たのはやはり、さぞや名高い銘のあろう、刃紋も麗しい大太刀で。それらが瞬く間の一瞬のうちに展開し、

  「哈っ!」

 気合い一閃。今にも襲いかからんとしていた殺気を覆って余りある強さ大きさの、剛の威勢を帯びたる気配が。やはり背後で弾けての、だが、こちらへはただただ頼もしく。ぎゃりんっと大きな音を立てての、風も動いて何かしら。島谷にとっては幸運という名の、奇跡が降って沸いたのであるらしく。
「な…。」
 一体何が起きたのやら。大元の襲撃自体へさえ、いまだ心当たりはないままに、それでもそぉっと肩越しに振り返れば。やはりあの下男が、外套をかなぐり捨てての手には剣という勇ましさにて。たいそう俊敏な身ごなしで、地を蹴ると離れた岩場の陰へまでへと跳躍しており。中空で剣を逆手に持ち替え、陽光弾いての逆光も目映い中、そこに潜んでいた何者かへと躍りかかったらしいのが伺えて。
“…いや、人殺しまでは。”
 鈍い悲鳴へ、これは困ったなと心胆寒からしめたところは、やはり侍ではない一般の民であるがゆえの限界か。
“だが、相手の方が先に、刃物で襲い掛かって来たのだし。”
 さっきあの男が弾いてくれたものだとて、あの重々しい金属音からしてさっきと同様の投げ小柄だったに違いない。正当防衛だったと言い切るか、さもなくば…あの下男は侍だから、侍同士の殺生沙汰、この虹雅渓でも殺人とは扱いが違うと聞いたがとしらばっくれるか。雇い主の身を案じ、逃げ出しもせずのああまで働いてくれた恩には応じねばと。彼の側こそ逃げもせず、遠い修羅場の気配を頑張って見据えていた絵師殿だったが、

  「…チッ。」

 そんな彼の頭上から、低い舌打ちの音が響いて。
「何だ、とんでもない護衛をつけてやがったか。」
 しらばっくれてたが、用心だけはしてやがったんじゃねぇかと。忌々しげに唸り声を放ったこちらの男、あっと思ったそのまま振り仰げば、切り立った壁のようになった岩壁の上、縁すれすれに移動をしたことで、辛うじて顔が見えたその男は。小袖のような深色の衣紋の懐ろから…黒光りする小型の鉄砲をその手へ掴み出しており。
「心当たりがあんたになくとも、俺らに不都合はない。要は殺してから探せばいいのだからなっ。」
 手間を取らされた分、さんざ怖がらせてのなぶり殺しにしてやりたかったのに。そんな悠長も言ってはいられぬと、がちり撃鉄を起こした音が微かに立って。
「…っ。」
 今度こそはもうこれまでかと息を飲む。見苦しくも騒ぐのは本意ではないし、口惜しい話だが、緊張の連続でとうとう身体が硬直したか、動きたくとも動けない。苦々しい顔になり、風がもてあそぶ長い蓬髪躍らせて。もはや最期かと目を閉じたそこへ、

  ――― きゅいっ、ひゅっ、ざくっ、と。

 またもや、想定外の物音がし。しかも、
「…ぐあぁぁぁぁっっっ!」
 断末魔の声とは正にこれのことか。頭上から聞こえた声は、紛れもない…つい先程まで大上段に振りかぶっての物言いをしていた、そんな相手のものではなかったか。
「…あっ。」
 ぐらりと揺らいでから倒れた黒い陰が、向こう側へとのけ反っての後、下へガクリと落ちてしまうのが見えて。誰から何をされたかは知らないが、それが大したものでなくとも、あの高さから落ちては…結局のところ助かりはすまい。

 「…?」

 一体 何が起きているのか。自分が当事者であるらしいのに、肝心な当人にさっぱり判らないままに、起こった端からどんどんと片付けられていったらしき物騒な災禍の数々であり。
“…そういえば、こうやって恩を売っておいての改めて、信用を得た身となってのじわじわと食いついてゆく詐欺師の話を、古今東西によく聞くが。”
 ああ、こんな皮肉が出るほどまでに、心の平静が戻ったぞと。妙なことにて自己診断していた絵師殿の傍らへ、ぶんっと刀を振り払い、血糊を飛ばしての鞘へ収め直した下男が戻って来たは良かったものの、

  「………あ。」

 こちらさんはさすがに絵師であればこそ、自分のお顔もまた素描のネタにと描き写す機会もあろうし、何より観察眼も優れておいで。その裾が肩までという長々とした丈のあった頭巾をも、かぶっていたお顔からかなぐり去っていた下男の彼だが、それで隠していたという傷など、顔にも頭にもどこにもないというのみならず。間違いなくのどこかで見たような馴染み深いお顔をした、蓬髪に縁取られたそれは精悍な面差しの壮年であるということに気がついて。

  「…えっと。」

 どれから拾っての突っ込めばいいのやら。とりあえずは驚愕を満たしたお顔を晒していたそのすぐ傍らへ、

  「…島田。」

 先程振り仰いでいた岩場の高みの方から、ひゅっと加速をはらんだ何物かが降って来た気配があったが。それがそのまま…無残にも叩きつけられたりはしないまま。すたすたと歩み寄ってくる気配につながったのへは、

  “…え?”

 普通の感性をしていれば、いやさ、繊細な感受性を持っておれば。今何かちょっと、理屈に合わないことが起きませんでしたかと気がついて、背条がひやりと凍ったとて、よく気がつきましたねと褒められこそすれ、責められたりはすまい。その背中に大きな翼でも持たぬ限り、今まで見上げていたあんな高いところからそりゃあなめらかに降りて来たのにも関わらず。そのまま何ともなくの平然と振る舞えるだなんて、普通はあり得ないのではありませんかと。

  “まさか…まさか。”

 この、先進の技術が色々と進んでいる昨今においても、そんな機巧に追い立てられての消滅まではすまいぞと。人の心に巣食う妖かしか、はたまた、大地の精気が何かを象徴しての姿を象
(かたど)った“精霊”とやら。そんな存在がやはり居て、今その姿を現したということか。

 「………あ。」
 「久しいの。島谷、とかいうのだろう? お主。」

 逢ったことがある相手ぞと、島田に言われるまで思い出せずで…と。この寡黙な金髪紅衣の双刀使いさんにしては珍しくも、なかなかの懐っこくも気さくに構えてお声をかけて下さったのだけれど。

 「………。貧血だろうか。」
 「怖い目に遭ってもじっと耐えていた緊張の糸が、
  やっとのこと安堵したその弾みに、ぷっつり切れただけのことだ。」

 久蔵の姿を目にしたその途端、ぐらりと倒れ込んだ絵師殿を。その痩躯には相当な細い腕にてがっしと受け止めてやった久蔵の言いようへ。擽ったげな苦笑を浮かべつつ、何とか無難に言い繕ってやった勘兵衛様であったのは。彼には全くの全然 及び知らぬことへだったとはいえ、あんなヤクザな連中からの身勝手で居丈高な接触にも、そう簡単には屈しなかった気丈さを讃えてやってのことであり、

  “だが…この男、そんなにも儂に似ているものだろうか。”

 懐ろから取り出した“手配書”とやらに記された絵姿は、少々その筆致が雑であり。この絵師殿にも勘兵衛にも、似てるといや似てるし、似てないといえば似てな………

 「…これもこやつも、似てはおらぬ。」
 「ああ、これ。
  それは兵庫殿へ参考証拠に預けなければ。だから破るなというに。」








            ◇



 あのような殺気立ってた連中から、一体何でまた狙われていたものか。結局は知らないまんまのついでに気を失ったまま、警邏隊本部まで搬送された絵師の島谷殿。その荷物の中にあったのが、
「掏摸とった奴が役人たちから追い詰められてのどさくさ紛れ。たまたま傍らに居合わせたあの絵師殿の、荷物の中へと突っ込んでの言い逃れをしたらしくてな。」
 そうという説明をしつつ、勘兵衛様がつややかな卓の上へ無造作に乗せたのが、

  「…金剛石の、これは研磨された石でしょうか。」
  「らしいな。」

 だとすれば、一体どれだけの価値があるのやら。何せ、当家の一人娘のカンナ嬢のぐうに握った拳ほどはあろうかというほどもの大物で、
「原石がこのくらいってのは見ないこともありませんが。」
 いくら金満家がこぞってやって来る蛍屋でも、こんな大それたものを持参してのお披露目をしたほどの大分限はまだ居ない。
「文鎮に持って来いだろうが。」
「…勘兵衛様。」
 元上官の呆れた価値観へと、ついつい窘めの声が出てしまった七郎次だったが、
「あの、島谷とかいう御仁もな。どこで紛れ込んだやら、こんな大きな水晶玉なら、何本印璽が作れるかななぞと、儂以上に暢気な言いようをしておったが。」
「〜〜〜。」
 この手のお顔のお人は皆、独創的な感性をした人揃いなんだろか。七郎次が“はぁあ”と呆れたのをよそに、
「あの絵師殿の名前や在所を知りたくての。」
 式杜人らの禁足地前にて、謂れのない襲撃を受けたのは本当の話。但し、そっちは依頼を受けた連中ばかりだったので、標的が勘兵衛ではないと、人違いだということには気づけなかったらしくって。一味の一人を締め上げて、その辺りの事情を訊いて、

 『儂と似ておる男と言えば。』

 心当たりがないではなかった。というか、それを覚えていたのは勘兵衛の側だけであり。実際に逢っておきながら、すかーっとあっさり忘れ切っていた久蔵だったのへ、さしもの勘兵衛もちょいと呆れたらしくって。
「それでと。」
 勘兵衛と打ち合わせての、こちらはこちらで別行動を取らされていたらしき双刀使い殿。お主は蛍屋へ潜入せよとの指示を受け、
「蛍屋中でこっそりと、島田によぉ似た絵描きがたまに来ようと、訊いて回ったのだがの。」
 襲い来た連中が持参していた手配書もどきは、島田が持ってってしまったし、それに、

 「もしやして、島田は俺を此処へと足止めして置きたかったのかも知れぬ。」
 「おや、それは心外ぞ?」
 「そうかの。俺へと食らわせた当て身は、なかなか本気のそれだったではないか。」
 「シチは勘がよいからの、半端な芝居では見抜かれようぞ。」

 同席者が居ることを忘れ去ってでもいるものか、丁々発止の言い合いをしかかる二人へと、
「…お二人さん。」
 おっ母様がこめかみをそっと押さえて見せる。ここは再び蛍屋の離れで、何だかややこしい関わり合いのあった事件とやらを、彼らなりのやり方で畳んで来ての再びのご訪問。久蔵がこっそりと、そんな訊き込みもどきをこの店でやらかしていたのだと七郎次が気づいたのは…彼が姿を消した後のこと。不審な行動なれど、ご本人様がまだおわす間はと気を遣ったか、こんなことを訊かれましたとのご注進は遠慮していた口の堅い女中たちからは、久蔵の側もまた情報は得られなかったものの。客に添うてという格好で店へ来ていた別店の太夫から、
『ああ、そんなお人なら知ってるよ。今売り出し中で、本人もなかなかの男ぶりだからって、太夫の間でも人気のある有名人だしね。なんだい、絵姿でも描いてもらうのかい? 色男さんvv
 そんな格好にて情報が得られたのでと、彼もまた、件
(くだん)の画家殿の身辺へと張りつきに行ったらしくって。
「途中で警邏隊本部へも寄って、兵庫に顛末をかい摘まんで説明しておいたから。」
 今後のしばらくほどは、あの絵師殿にも、それとなくながら彼らによる注意が払われることだろう。だから、彼へと物騒な闇討ちとかがかかるという恐れはないぞと。あくまでも七郎次が案じぬようにと、付け足した赤い眸の次男坊の言いようへ、
“警邏隊の隊長が兵庫殿で良かったの。”
 この独り言は…勘兵衛がその胸中にてついつい零したもの。久蔵が“かい摘まんで”したという説明が一体どんなものであるのやら、ちょいと想像がつかなかったからであり。先の戦さの最中からというほどに付き合いが長いという兵庫殿なればこそ、ちゃんと把握してくれたのだろうが。そうでなかったらどうなっていたことか…という話をここに居合わす七郎次にしたところで。彼にもそんな道理は通じずに“何のことですか?”と言い返されるのがオチかも知れなかったけれど。
(う〜ん、う〜ん)

  「まあ、何にしても。」

 本人が何にも気づいてなかっただなんて、無防備極まりなかったところ。大事に至る前に間に合ってのお助けしてあげられたなんて、良かったことですよねと。振り回されたというのにも関わらず、心からの安堵を込めてしみじみと口にした七郎次。相変わらずに懐ろの深い母上に、そんなまろやかなお顔をさせられたとあって。次男坊が目許を細め、そうしてそんなお顔をした彼の愛らしさへは、伴侶殿が感慨深いお顔をする。幸せの三竦みってやつでしょうかね、これってばvv
(おいおい)
「それにしても。」
「んん?」
 借りて来た猫ならぬ、久々に実家へ帰って来た放浪家出猫でも、こうは蕩
(とろ)けまいというほどに。甘えたいですという眼差しをあからさまにしている次男坊の、ふわふかな綿毛を“よしよしvv”と愛惜しげに撫でてやりながらも、
「賊の間に頒布されたというこの手配書を見て、見た段階で勘兵衛様に似ていると、即座に思った者は一人もおらなんだのでしょうか。」
 ただ単に、虹雅渓に在所のある絵師であるとしか記されてはおらず。そっくりな賞金稼ぎがいるから、間違えないよう用心しなさいとかどうとかいう添え書きもない。それを指してか、怪訝だという声を発した七郎次であり、
「さてな。少なくとも、きっちり畳んでしまった後になっても、人違いだったと気がついたような輩はおらなんだようだぞ。」
 当初は、奇襲を受ける回数が増えたかなと、そのくらいしか感じるものはなかったそうで。だが、絵師にしては強すぎるとか何とか、妙なことを口走る者が多いのへと気がついての、やっとの最近。ここ虹雅渓へと近づき切った先日になって、相手へとその事情とやら、初めて確かめてみたのだそうで。
「賞金首らの側からの、言ってみれば“逆手配”というものがかかっておろうとはな。」
 それでのこと“誰ぞから尾けられていて云々”と語ったお話もまた、作り話ではなく。口下手な久蔵でも自然な口調で話せた訳で。そんな揶揄を感じてか、
「嘘や詭弁が苦手なだけだ。」
 憮然と応じた久蔵へ、
「お主はそれでこそらしいのだ、あらためる必要はない。」
 などと宥めるご亭だったりし…と、暢気なお言いようをするお二人へ、

  「だ・か・ら、そうじゃなくて。」

 脱線しないでくださいようと、七郎次が呆れつつのお膝を進めて言い足したのが、
「これを見て、やや、あの噂の賞金稼ぎじゃあないか。何が嬉しゅうて、そんな危ない輩と関わり合わねばならぬかと、そういう方向でむしろ逃げ出す者はいなかったのでしょうか、とですね。」
 何たって“褐白金紅の”なんてな煽り文句までつけられている、今や飛ぶ鳥落とす勢いの、名うての賞金稼ぎだってのに。逆に、いくら有名とはいっても、そちらの業界の人以外からはなかなか名前とお顔が一致しなかろう、そんな一介の、無辜の市民であろう画家さんへと名指しで間違われていてどうするか。そうと言いたかったらしい七郎次へ、
「ああ、それは無理な相談だ。」
「はい?」
 やっぱりあっさりと応じた勘兵衛であり。
「いいか? よ〜く考えてもみよ。」
 刀の届く間合い、しかも差し向かいというほどの間近にて。儂らに直接逢った者となると、その大半が捕縛されたか斬って捨てたかという手合いばかりぞ。そんな連中が後人らへと何事か伝え残せる筈がなかろうが。
「ネズミ取りにかかったネズミが、そこは危ないぞと仲間たちへ伝言を残せないようなものだ。」
「何という例えをしますかね。」
 ああそうかそういう理屈ですかと、眸が座り気味の七郎次にも今やっと事態が飲み込めた模様。つまり、勘兵衛も久蔵も、州廻りの役人たちや助けた縁で知り合った人々以外の間では、

  ――― 壮年と若武者の二人連れ。
       蓬髪に白い衣紋をまといし、顎にヒゲをたくわえた男と、
       金髪に紅の衣紋の若者の方は、双刀使いであるらしく

 …という程度の、何とはなくのイメージでしか、その姿も風貌も、伝わりの広まりのしてはいない状態にあるので。
「あのような具体的な絵姿を見せられて、ああこれは勘兵衛様じゃあないかと思ってしまうのは、実際に逢った“善人”の方々か、若しくはアタシら身内だけってことですね。」
「いかにも。」
 惚れ惚れするような男臭い笑みにて、元副官殿へ“よく出来ました”と破顔した蓬髪の壮年殿。とりあえず、この一件もまた、様々な読み物へと配信されるよう、先程電信にて“作家”へ届けておいたからと付け足して。
「裏の世界では、目端の利く奴であればあるほど、金にならぬとなった話への聞き耳も鋭いからの。」
 これでまあ、組織立ったややこしい者共からは追われることもなくなろう…と。さてはそれが最終目的だったらしい勘兵衛様へ、

 「それにしたってあの似顔は、あっちの男よりもお主の方に似ておったぞ?」
 「だからこそ、余計な付け馬が増えたのだろうの。」
 「笑っておる場合か。」
 「何がだ?」
 「小者はまだ、お主に賞金が懸けられておるとの勘違いを正さぬかも知れぬ。」
 「そのくらいは構うものか。」
 「何だと?」
 「あの絵師殿は我らのように腕が立つ訳ではないからの。
  今後も襲われては気の毒だ。」
 「小者相手ならいっそ、お主だと思い込ませておる方がマシだと?」
 「お主だとて、道中の暇つぶしが出来るという言いようをしておったではないか。」
 「だが、お主の策のせいでシチに心配をかけてしまったぞ?」
 「おやおや、それしか杞憂に思ってはおらぬのか?」
 「お主がそうそう、してやられるはずはないからの。」
 「そうさの。お主が相方に選んでくれた もののふだからの。」
 「…誰がいつ、そんな言い方をしたか。」
 「違うというのか?」
 「俺はただ、お主の首を落とすのは俺だと言うたまでぞ?」
 「その日まで総身のどこも損なうなと、検分までして構いつけるのは何処の誰だ。」
 「…。//////////

 全部までは聞いておられずで、途中からそおと部屋からお暇まをした七郎次だったのは言うまでもなくて。
“クドイようですが、あれで、泣く子も黙る 褐白金紅の賞金稼ぎですものね。”
 あんなまで甘甘なバカップルにすぎない彼らに、あっさり畳まれたのだと悪党共が知ったらば。どれほどのこと口惜しいと嘆き、地団駄を踏み、拭い切れない憤怒のままに血の涙を流しての、その臍を咬むことなやら。
“妙なところでバランスが取れているってやつなんでしょうかね。”
 まま、ああまでの…周囲を呆れさせるほどのお惚気であれ、人間味あふれる、暖かい応酬には違いない。以前の彼らがどれほどのこと、人の情やら体温やらからその身を遠ざけていたかを思えば、願ったり叶ったりな状況ではないかとの苦笑も新たに、

  “せいぜい、甘え甘やかして過ごして下さいませな。”

 我が身への幸いのように感じ入り、くすすvvと微笑ったおっ母様。こちら様もまた重々甘いのだと、気づいているやらいないやら。初夏を迎える虹雅渓のお空を見上げ、さぁさ、一体どういう注意書の文言を、創作ものの書き手ことゴロさんへと“付け足し伝言”したものか、楽しそうに思案しつつ母屋へ戻る七郎次殿であったそうな。








  〜 どさくさ・どっとはらい 〜 07.5.16.


  *何だか急に、
   こ〜んな事件はどないですやろと降りて来たので書き始めましたが。
   ………ややこしくはなかったですか?
   たったの1日でしゃかしゃかと書き上がるには、
   少々 書き急ぎ過ぎの代物でしたかね。
(苦笑)
   妙に人気の“島谷さん”へ、再びのご登場をいただきましたが、
   こんな格好での再会なんかして、
   今後、久蔵さんのことを怖いと思わなければいいのだけれど。
(笑)

  *更新した順番にお読みでない方へは判りにくかったかもしれませんね。
   後半で主役もどきに出張ってらした“島谷さん”というお人は、
   本篇の『
三寒四温』『雪起こし』に登場するオリジナルキャラです。
   ややこしい人が主格で出て来てすいません。
(苦笑)


ご感想はこちらvv

戻る